ショパンの音楽からも強く影響を受けています。バークリーの音楽はエレガントで魅力的、ウィットに溢れており、職人技術の施されたような精巧な完成度の高さで特徴づけられています。
1942年にオーケストラのプログラム・プランナーとしてBBC放送局にスタッフとして加わったバークリーは、芸術的センスに溢れた多くのアイデアを番組に提供していきました。BBCに勤めていたその頃、彼は将来の妻、エリザベス・フリーダ・バーンスタインと出会っています。バークリーは1945年までBBCに勤め、翌年の1946年〜1965年まで、彼は王立音楽院(RAM)の教職に就くことになります。彼の教え子には、リチャード・ロドニー・ベネット、ジョン・タヴナー、そしてマルコム・ウイリアムソンなど多くの英国作曲家が名を連ねています。
バークリーは様々な作曲分野にその功績を残しています。それらの作品群には4つのオペラ、4つの交響曲、室内楽、管弦楽、声楽曲など多岐にわたっており、その主要作品には"アヴィラの聖テレサの4つの詩"(1947)、"スタバート・マーテル"(1947)、"ピアノ・コンチェルト、変ロ長調"(1948)、"ザ・ファ−スト・ジェントルマン"(映画音楽、1948)、"ホルン・トリオ"(1953)、そして2つのオペラ"ディナーエンゲイジメント"(1954)、と"ルース"(1955)、などがあります。バークリーは1928年にローマン・カトリックに改宗しており、このことが彼の人生と作品に意義深い影響をもたらすこととなります。聖書のテクストや礼拝の式典のために書かれたこれらの多くの作品は彼の残した音楽遺産の中でも重要な位置を占めています。ラジオ番組でバークリーは宗教的精神における彼の芸術への信念について触れています。"音楽は知性にのみ働きかけ、その感覚を喚起するものではありません。最も大切な聴衆との交わりは何をおいてもまず、精神的な世界に属しているべきだと確信するからです。そして質の高い最良の音楽はその次元において決定的な強さと説得力で聴き手に訴えかけるものです。" バークリーの弟子でもあった英作曲家のマルコム・ウイリアムソンは音楽に反映する彼の信仰心について次のように語っています。"・・・バークリーの残した音楽はそのいかなる作曲分野においても宗教的精神性を取り除いては有り得ませんでした。彼はパレストリナ(ルネサンス期のイタリアの作曲家)のように人生は宗教的信仰心なしでは考えられないとでもいうような、大変信仰心の厚い作曲家でした。" レノックス・バークリーの作曲手法と技術的な能力はその精神性と見事に重なり合い天上的な要素を彼の楽曲に与えています。
レノックス・バークリーの主要な作品群は主に1940年〜1960年の間に作曲されており、その音楽の功績が認められ1974年にナイトの称号を受け、以後サー・レノックス・バークリーとなります。バークリーは1989年12月26日に他界しました。1990年3月、ウエスト・ミンスター大聖堂における追悼ミサの辞でサー・ジョン・マンデュエルは述べています。"英国の作曲家でこれほど見事にピアノ音楽を書き残したものは他にいないでしょう。"
井田久美子 2005年 8月
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