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〜イギリスピアノ音楽シリーズ U〜
 

 ブリテンは常に自己に最も厳しい音楽家でした。アマチュア、プロに関わらず彼の期待の演奏基準に達するためには、しばしば演奏家に凄まじい要求をすることもありました。彼は作曲のほかに演奏家、例えばピーター・ピアーズの伴奏ピアニスト、指揮者としても演奏旅行を重ね生涯を通して膨大な量の仕事をこなしていきました。またオールドバラ・フェスティバルの緻密な計画に責任をもち、有意義な仕事を完成させるために熱意を注ぎ込みました。ブリテンは地元の人々、オールドバラの漁師やコンサートホールの建設に携わった作業員などにも好かれ、特に子供たちとは直ぐに仲良くなりました。彼の作品中でもポピュラリティーの高いパーセルの主題をとりいれた『青少年のための管弦楽入門』(The Young Person's Guide to the Orchestra,1946)は彼の友人の4人の子供たちに献呈されており、またオペラ『アルバート・へリング』、『The Little Sweep』、カンタータ『聖ニコラス』、『ノアの洪水』(Noye'sFludde,1957)など多くの作品には子役が含まれています。

 ブリテンはまた当時のイギリス人作曲家からも強い影響を受けました。マイケル・ティペットと共にパーセルの音楽への理解を分け合い、パーセル作品の編曲(青少年のための管弦楽入門)を次のように語っています。 「すべてのパーセル音楽から放射される清澄、輝きと優しさ。オリジナリティーが織り込まれた何かを実現させるように努力しました。」ブリテンはピーター・ピアーズとシューベルトの歌曲演奏を数多く行い聴衆に広く知られるようになりますが、この事実からもシューベルト歌曲の重要な影響がブリテンの作品に見られます。シューベルトに映し出されるこの"研ぎ澄まされた感覚"(Clarity)はブリテンがその創作活動で常に心がけていた点でもありました。ブリテンはその趣旨について「私の技法は全ての無駄を失くしてしまうことにあります。表現の完璧な純粋性(Clarity)を実現させることが目的です。」と語っています。ブリテンはまた独自の音楽言語の探究と共にヴォーン・ウィリアムズに代表される民謡伝統を重んじ、過去の英国において培われた音楽遺産を大切にしていました。1945年、丁度『ピーター・グライムズ』の初演が行われる前にブリテンはピアーズと共に“シュロプシャーの若者”(ハウスマンの詩集)に基づいたヴォーン・ウィリアムズの歌曲『ウェンロックの崖で』(On Wenlock Edge,1909)をデッカのもとで録音しています。この『ウェンロックの崖』はヴォーン・ウィリアムズがラヴェルに師事した直後の作品でその影響が見られます。

 青年期にフランク・ブリッジから受けた影響は、ブリテンの作曲技法に刻まれており、マリ・シェィファ(Murray・Schafer)に次のように語っています。「紙に鉛筆で音符を書き込む以前に音符は頭の中で完成されています。最もそれは全ての音符が出来上がっているというわけではなく、作品の形成、テクスチャー、性格、これらのことを非常にきめ細かく心に描いていることで、自分の欲する効果を確実に得ることができます。」 ブリテンは生涯を通じてどのような作曲家グループにも近寄らず、自分の作曲活動において他人の干渉を受けつけませんでした。ただ一度だけレノックス・バークリーとの『モン・ジュイ』(Mon Juic,1936)を手掛けました。それでも彼は同世代、イギリスの若い作曲家たちにはその生涯を通して多大な支援を惜しみませんでした。  

  1940年にコヴェントリーの大聖堂が戦火で破壊されましたが、22年後の1962年に同じ場所に新しい大聖堂が再建されました。ブリテンはその祝典のためにコヴェントリーから『戦争レクイエム』の委嘱を受け、イギリスの誇りとする最高の作曲家としての栄誉を授かりました。オールドバラは常に彼の活動の中心にあり、1967年にエリザベス女王によって幕が切られたスネープの新しいコンサートホールと共に毎年開かれる"オールドバラ音楽祭"は花開き活気溢れるイヴェントとして成長していくこととなりました。  

 1970年からブリテンの健康状態は悪化しはじめますが、この年から『ヴェニスに死す』に取り掛かり1973年、五月の心臓手術の前までに作品を完成にみちびきました。この手術によって一命を取り留めましたが、右腕の自由を奪われました。1976年には再び状況が悪化し、この年の12月4日にオールドバラの自宅で亡くなりました。ピーター・ピアーズはその10年後の1986年に亡くなり、オールドバラの教会に眠るブリテンの傍らに埋葬されました。


井田久美子    2006年 12月4日   

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